おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-① 渡辺美奈代
PHOTO=稲垣純也 TEXT=村田穫
80年代アイドルの象徴であり、現在に続くグループアイドルの礎を築いたおニャン子クラブ。来年9月の解散30周年まであと1年となった今、元メンバーたちに当時の思い出や近況を語ってもらいました。第1回は、アイドルになるために生まれてきたと言っても過言ではない、おニャン子クラブの後期を支えた主力メンバー渡辺美奈代さん。ネイルサロンや家具・インテリアショップのプロデュースをしつつ、現在も芸能活動を継続中です。
おニャン子クラブの解散は
頭の片隅にありました
――おニャン子クラブでは正統派アイドルとして大人気でしたが、オーディションを受けたきっかけは?
「所属していた名古屋のタレントスクールにソニーの方がいらして、『おニャン子クラブのオーディションがあるけど受けてみない?』と声を掛けられたことがきっかけです。その後、東京に行くんですけど、実はこのとき私以外にタレント候補の子がいたんです。その子は歌もルックスも完成されていたので、私はその子の引き立て役として選ばれたのかなと思っていました。アイドルへの憧れはあったものの、西春日井郡(現・北名古屋市)という田舎で育ったので(笑)、芸能界はとても遠い存在でしたね」。
――それがまさかのおニャン子入り! 当時を振り返ってみると?
「一気にプライベートが無くなりましたね(笑)。オーディション中は毎日地元から通っていたんですけど、その時点で芸能事務所の方がスカウトのために新幹線まで付いてきたり、合格前なのにファンレターをいただいたりしました。ソロデビューしてからは、ファンの方が私のマンションの屋上に住み着いたり、学校帰りにカメラ小僧に囲まれてパトカーに救われたり、とんでもないことの連続でした(笑)」。
――ソロデビューは合格から約8カ月後の1986年7月でした。
「ソロデビューの話を聞いたのは意外と早く、その年の2月ぐらいだったと思います。ただ、その頃はすごくバタバタしていたので、実感は全然無かったですね」。
――たしかにその頃は忙しそうですよね。
「おニャン子になったのが前年の11月末で、年末にハワイで写真集の撮影。帰国後に国生(さゆり)さんのデビュー曲(バレンタイン・キッス)でバックコーラスをやることになり、レコーディングがスタート。その直後に事務所が決定してソロデビューという話になったので、本当に息つく暇がありませんでした。訳もわからず、スタッフさんが用意してくれた線路の上に乗って走っていた感じです」。
――ソロデビューイベントはなんと日本武道館!
「持ち歌2曲で武道館なんて今では考えられないですよね(笑)。それだけおニャン子クラブの人気がすごかったんだと思います。握手会を除くとイベント自体は短かったし、抽選に外れて中に入れなかったファンも外に大勢いたので、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」。
――ソロデビューしたことはやはり大きかったですか?
「大きかったです。事務所とレコード会社が決まらないとソロデビューってできないんですよ。実際、ソロデビューしたくても事務所が決まらず断念した子もいたので、事務所に入れなかったら、おニャン子クラブの解散とともに実家に帰っていたと思います。その意味では人生の転機になった出来事でした」。
――そして、ソロデビューから約1年後、おニャン子クラブは解散宣言をしました。
「おニャン子クラブの解散は、私の中では突然訪れたものではなかったんですね。夕食ニャンニャンが終わったり主力メンバーが次々に卒業していったり、状況が少しずつ変わってきたので、子どもながらに『人気が落ちてきたのかな?』と感じる部分があったんです。その流れを見ていたので、自分の卒業、あるいはおニャン子クラブの解散がそのうちあるかもしれないという思いが頭の片隅にありました」。
――解散してほしくないという気持ちはありました?
「そこはすごく微妙でしたね。正直、解散ではなく卒業と加入を繰り返して存続できればそのほうがいいのかなとは思いました。でも、おニャン子クラブはテレビ番組から生まれたグループなので、番組終了後に継続させることはできないということも理解していました」。
――高校生ながらしっかりしていたんですね。
「意外と冷静だったのかもしれないですね。ソロデビューしたときに当時のマネージャーさんから、『おニャン子クラブは素人かもしれないけど、ソロとしてはプロの芸能人なので、そこはきっちりとやってください』と言われていたんです。だから感情に流されずにいられたんだと思います」。
――ファイナルコンサートも割り切った感じで臨んだんですか?
「割り切ったというよりは達成感や感謝の気持ちでいっぱいでした。もちろん寂しさはありましたけど、後を振り向かない性格なので、コンサートが終わった後は、ひとりのアイドルとして今後どう活動していけばいいのかをじっくり考えました」。
――おニャン子時代と解散後では芸能活動で違いを感じました?
「私の場合、おニャン子クラブと並行してソロ活動もしていたので、急激な変化はなかったですね。ただ、次のステップに進むときに“元おニャン子”という肩書きが辛かった時期は正直ありました。でも、今考えたら、おニャン子だったことを伏せる意味もないし、おニャン子クラブのおかげで私の名前が残っているのも事実なので、今後も否定や後悔することはないと思います」。
――1990年に行われた新宿厚生年金会館でのコンサートを最後に、数年間デビュー曲の「瞳に約束」を封印しましたが、その頃はおニャン子クラブを切り離したいという気持ちが強かったんですか?
「切り離したかったわけではなく、あまりにも『瞳に約束』のイメージが強すぎたので、そこから先に進めなかった感じでした。だから、しばらくお休みして間を空けようということになったんです。その期間があったから、その後うまく昇華できたんだと思います。現在はさらに昇華できているのでなんでもできますね(笑)」。
結婚を機に芸能界引退を
考えたことも……
――その後しばらくしてご結婚。ネイルサロンや家具・インテリアショップは結婚後に手掛けています。
「ネイルは結婚前から好きでした。自分の爪が小さくてコンプレックスを持っていたのでネイルサロンに通うようになったんです。ただ、当時は全然流行ってなくて都内に数店しかなかったんですよ。しかも敷居が高い感じだったので、コンビニ感覚で入れるネイルサロンを作りたいなと思っていました」。
――家具のほうは?
「主人の実家が家具の卸屋さんだったので、ショールームを見ているうちに興味を持ち始め、自宅の家具やインテリアに凝りだした感じです。こちらは完全に主人の影響ですね。ネイルサロンも家具・インテリアショップも『好きだったらやってみれば?』と主人が提案してくれたので始めることになりました」。
――結婚されてから芸能活動に変化はありました?
「実は結婚を機に芸能界を引退するつもりでした。芸能界の大変さは肌で感じていたし、主婦業も初めての体験になるので両立は厳しいと思ったので。それに、芸能活動をしていると些細なことが記事になったりするじゃないですか。私の両親はともかく、結婚したら相手の家族も巻き込むことになるので、迷惑をかけちゃいけないという思いもあって……」。
――しかし、実際には芸能活動を続ける選択をしました。
「事務所の社長に相談したら、『無理に仕事をする必要はなく、やりたい仕事をやればいいから、(芸能活動を)続けたいのにやめることはないよ』と言ってくれたんです。主人も『専業主婦になる君と結婚するわけじゃないから、続けたほうがいいんじゃない?』と言ってくれました。そのときは本当に嬉しかったですね」。
――現在は母親としての役割もあるので大変なのでは?
「大変だと思ったことはないですね。芸能活動を理解してくれる家族やスタッフに囲まれているので、お店も家事も1人で抱え込むことが無いんですよ。そういう意味ではおニャン子時代も含めて、周囲の環境にはとても恵まれていたと思います。それに、子育てって毎日様々なことが起こるからすごく楽しいし……」。
――そんな家族ですが、長男の愛弥(まなや)くんが芸能界で頑張っています。
「そうなんですよ。私の影響もあってか、小学6年生のときに『将来は芸能活動をしたい』と言ってきたんです!」。
――そのときの率直な気持ちは?
「複雑でしたね。芸能界の厳しさを知っているので、母親としてはやめてもらいたいという気持ちが強かったです。私が16歳で芸能界入りするときに反対した両親の気持ちが、このとき初めてわかりました。でも、当時の私がそうだったように、芸能界に憧れる気持ちはすごくわかるし、私の活動を認めてくれたからこその決断だったと思うので、ひとりの芸能人としては応援したいと思っています。しかも最近は次男の名月(なづき)まで芸能界へ進もうと思っているみたいなので、ハラハラしています(笑)」。
――2012年から毎年恒例となっている美奈代さんのライブにも、ゲストで出演されていますね。
「衣装替えの時間をつないでくれたり、バックでダンスをしてくれたり、とても頼もしいですね。しかも、ありがたいことに、おニャン子当時からのファンの方は子どもたちまで応援してくれるんですよ。ブログにもコメントしてくれるし、感謝の気持ちでいっぱいです」。
――今年も9月25日にライブが開催されます。
「記念すべき5年目ということで、今年は昼夜の2回公演、生バンドでのライブになっています。サプライズ企画なんかも考えているので、みなさんのご来場、お待ちしています!」。
――こうしたライブ活動が話題となって、近年では若いアイドルグループと共演することも。
「6月にさんみゅ~さん、ハコイリ♡ムスメさんと共演させていただいたんですけど、どちらも80年代アイドルの歌を歌っているグループなので楽しかったですね。でも、メンバーのほとんどが長男よりも若くてビックリ! みなさんすごくかわいらしかったけど、衣装では私が勝っていたと思います。今でも私は現役アイドルなので(笑)」。
――おニャン子クラブも来年の9月で解散から30年になります。
「色々なことがありましたね。解散後も大好きな芸能活動を続けられ、理解のある主人と巡り合い、かわいい子どもにも恵まれて、現在は本当に幸せです。ファンの方も毎年、解散した9月20日にビデオコンサートを開催してくれているので、おニャン子クラブに入って本当によかったと実感しています!」。
――そのビデオコンサートに、美奈代さんも以前ゲストで出演しました。
「活動期間が3年にも満たなかったのに、今でもおニャン子クラブを忘れないファンが大勢いるのを目の当たりにして、すごく感激しました! 元々、解散の翌年にファンが自然に集まったところからスタートしたということを聞いて、『ファンの力ってすごいんだな』と思いました。出演して本当によかったです」。
――おニャン子クラブで学んだことは?
「おニャン子クラブに限らずアイドル活動で学んだことは、笑顔の大切さですね。これは芸能活動だけではなく、すべてに言えることだと思います。辛いと思う仕事も笑顔でやっていれば現場の雰囲気がよくなるし、笑顔で接していれば家族も笑顔で返してくれるんです。子どもたちからは『家の中でもアイドルだね』って言われています(笑)」。
――美奈代さんにとっておニャン子クラブとはなんですか?
「すべての原点ですね。そしておニャン子たちは同じ部活に所属していたメンバーかな。いい意味でライバルだったしチームメイトでもあったし……。ライバルって言うとギスギスした関係を思い浮かべるかもしれませんけど、みんなで手を繋いでなあなあでやっていたら、きっと成功していなかったと思います。短い期間だったけどそういった体験ができたからこそ、現在、頻繁に連絡しなくても大丈夫だと思えるくらいの関係性になっているんだと思います」。
渡辺美奈代(わたなべ・みなよ)
生年月日:1969年9月28日
出身地:愛知県
血液型:B型
【CHECK IT】
1985年11月、おニャン子クラブのオーディションに合格し会員番号29番として活躍。翌年7月に「瞳に約束」でソロデビューを果たす。おニャン子クラブ解散後もアイドル・タレントとして活動を続け、現在はネイルサロンや家具・インテリアショップも手掛けている。ソロデビュー30周年を記念したコンプリートCD「渡辺美奈代 30th Anniversary Complete Singles Collection」が発売中。9月25日(日)にソロデビュー30周年記念コンサートを竹芝ニューピアホールで開催。
詳しい情報は渡辺美奈代公式HPへ
渡辺美奈代公式LINEブログへ
渡辺美奈代 30th Anniversary Complete Singles Collection ¥3,000(税込)